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2025 04 |
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剣道では、身を捨てて戦う事を究極の心境として尊んでいます。一刀流は「身を捨てて又身をすくう貝勺子」と歌っています。すなわち、身を捨てる事が自分を助ける道だと教えています。
宮本武蔵は真剣勝負では「我が身切られに行くと思え」と言い、上杉謙信は「生を必すれば必ず死し、死を必すれば必ず生く」と死を覚悟しなければ生き残れないとして、捨て身の精神を説いています。
つまり、「捨て身」こそ、戦いに臨む精神である、と同時に、生き残るための心構えと考えられたのです。
現在の日本人には、すさまじい生き方の人が多いようです。
急いで朝食をかき込み、バス停にかけつけ、満員電車の中で縮こまって新聞を読み、先の見えない商談の迷路をさまよい、ゆったりと食事も入浴もできず、感謝と安息の時間もないのに、それが充実した人生と錯覚しています。出張中もビジネス書や自己啓発書を読みふけり、日帰りで往復する。仲間が昇進すれば嫉妬し、家族や友人との遊びも心底楽しめず、疲れは日々増すばかり。
何も捨てず、執着して生きています。捨て身とはほど遠い生き方です。どちらが良い人生であるかは簡単に結論できませんが、少なくとも執着の中にはスピリチュアルな能力は生まれそうにありません。
ドリス・デイのケセラセラという歌が、何故か良く口に出てきます。
「実現していない未来を心配しても仕方ない、なるようにしかならないのよ」っていうのが歌の骨子です。
嫌なことがあっても、それがなかったら今のこの幸せは手に入らなかったんだなって思えるようになってきました。